自分以外の人を責めたり非難したりしないこと、これはわかっていてもなかなか難しいことです。
なんせ、私達はついつい、自分中心にものごとを考えてしまいがちです。
> 「自ら裁かれることを欲しないならば、人を裁くことなかれ」
私だって責められるのは嫌だ
誰だって、お前はおかしい、間違っていると責められると嫌な気持ちになります。
間違っていたと自分自身が思っても、嫌な気持ちになります。
私も子供や夫に、相手が悪いとばかり思って責めたり怒ったりしてしまいます。
自分以外の人間を責める、非難するという行動は、自分の思うように進まなかったり、イライラが含まれていたりして、自分のこうあるべきであるという価値観により、主観的に怒っているんだと思います。
自分が間違っていたことを認めて謝るという行為には勇気がいる
素直に非を受け入れて謝るということにはエネルギーを使います。
責められたり、非難されて受け入れられる人は少ない
少ないというより、ほぼいないのではないか。
子育てでも、母親の感情で子供を怒って責めてしまうと まずいい方向にはことは、運びません。
それが、大人であればなおさらです。
それぞれの行動や言動にはそれぞれの理由があり、 自分の価値観と違うとしてもお前は間違っていると言ってしまうのは、相手を下にみていると感じます。
非難されたという記憶はずっと残る
他人への思い込みや自分の価値観だけで否定したり無意識に傷つけたりすることがあります。
それに気づいた時、自分も間違っていたことに気づけたならばまずはいちばんにそのことについて、謝罪すべきです。
他人を自分より下に見ているとそれがなかなか出来ません。
子供に対してもそうでしょう。
無意識のうちに子供は親の言うことを聞くものという価値観によって
「勉強しなさい」
「なんでこんなこともできないの」
「何をやっても、できないんだから」
などと、不用意に子供を傷つけ、無意識にどうせ自分はできないという意識を子供は持ってしまうようになっていくのです。
非難した本人は、その時の感情だけですので、忘れていても、 された側はずっと残ります。
相手を傷つけた本人は無意識なので、相手の心が離れていくことに気づきもしないのです。
まとめ
この言葉は、私の置かれている生活において、身近によくこういう行動をする人がいるので
とてもよく思い知らされる言葉です。
無意識に他人を非難し傷つけるという行為は、とてもつらいことですね。
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